ビリヤード:「何も言わない人=優しい」ではないし、「お小言を言う人=厳しい」ではない
公開日:
:
ビリヤードの話
週末は関西へGO!!
週末は関西方面(大阪・京都)へ打ち合わせ3件ほどありますので、遠征しに行ってまいります。もちろん関西方面に行くのですから、京都にも寄ってくる所存であります。
コレで今年も例年通り4回京都に行くことができました。来年も京都に行けるように頑張るどー
フルボッコ時に垣間見える「優しさ」
Maze Puzzle (Blender) / FutUndBeidl
さて、現在の自分はうっかりデザイン系の仕事にも足を突っ込んでます。
んで、先日ウチのデザイナーが上場企業元会長様に、スカイプで近々ヨソでやるプレゼンを見て頂いたんですね。その元会長様とは直接の利害関係はないプレゼンなのですが、駄目出しの嵐でフルボッコに打ちのめされておりました。
キツ目言葉を浴びせかけられてたんですけども、そのやりとりを聞いてると、直接利害関係の無いこちらに対してその厳しさで発言されるのは相手のことをおもっての本当の優しさだよなぁ、道を誤らぬための温かさだよなぁ、と思ったのです。
まぁ、趣味の世界とはいえどもビリヤードも同じだよね、としみじみ思いましたな。というのが本日のお題。
優しい?自分は無関心なだけなんですって
自分は出来る限り他人に対して否定的なことを言わず、ビリヤードライフを過ごしております。すると、否定的な発言をしないもんだから時折「純次=優しい人」みたいなことを言われることがあるのですな。
これには非常に違和感。
なぜなら自分は優しい人などではなく、ただひとの球やひとの性格にあまり関心がない、とゆーか単に無関心なだけだからなのです。かのマザーテレサも言っておられたではありませんか「愛の反対は無関心」と。そんくらいに無関心とは罪深きことであり、とても優しい人という表現は当てはまらないのであります。
一方、プレーやマナーについてお小言を言うような人は厳しい人、面倒くさい人と扱われて敬遠されたりすることもありますね。しかし、自分からすると、そのようなことを言う人のほうがよほど優しい人なのであります。
そんな自分が優しい人と言って真っ先に思い起こされるのが、この方↓
ひとにお小言を言うのって疲れるじゃないですか。ヘタすると恨まれるリスクもある訳ですから。
その壁を乗り越えて、わざわざその人のことを思って直言し続けるんだからエラい。まじで、リスペクト。
仮定の話ですが、自分だったらビリヤード中に「あ、そのマナーは注意したほうがよいかな」「その取り方は後でアドバイスしてあげよう」と、もし気づいたことがあっても言わないですもん、面倒だからスルーですよ。ただのスルーじゃなくて完スルー。
言ったほうがその人のためになるだろうことを言わないんだから、それはやっぱり優しい人とは言えないんじゃないでしょうかね。
振り返って撞球道場時代
そう考えてみると、自分が通ってた撞球道場は、他店の人が驚く位に厳しいところではありましたが、今振り返ると優しかった人が多かったと気づくわけですな。それが血となり肉となり(ついでに反骨心も育まれて?)今に至るんですから、ありがたいことですよね。
んで、現在のビリヤード界にはひとへの無関心派が多数だとは思いますが、ひとりでも多く真に優しい人が増えることを望みます。ビリヤード界の発展&健全化のためガンガンお小言発言していきましょー!!
むろん、自分はひとに無関心なまま続けますけど(オイ)。
自分は野球をほぼ観ませんが、野村・豊田(泰)・小宮山・権藤、この方々の文章は良いですな。上記は野村本ですが安定の一冊です。
んじゃ、またー
いいね!するだけでブログ更新情報が届きます⇒facebook.com/trc.jyunji(フェイスブックの更新通知方法にはいくつか種類があるので詳細はこちらをご覧ください)
ホームページ更新、印刷デザイン丸投げならタニデザインの運営代行
http://tani-design.com/daikou.html
御社のデザイン担当者としてご利用ください